フロの歌窓の外から拍手来る(他作)

風呂が道路に面しているとありそうなこと。ネットを探していたら,感動的な日記を見つけた。作者の作句の趣旨『外からの拍手』には少々外れるが、この日記を紹介して『フロの歌』のコメントに代えます。
                          不肖の娘


あたしがまだ若い娘だった頃、あたしの父は会社から帰宅すると、まずお風呂。
お風呂の中で調子っぱずれの歌を朗々と歌い、そして湯上りのビール。
これが無口で真面目で几帳面で誰にでも優しく心配りをし、自分は 愚痴も弱音も吐かない父の唯一の ストレス解消法のようでした。
父がお風呂で歌う歌はいつも 同じ歌でした。
途切れ途切れに聞こえてくるのは、「マイ マザー」とか「プリティリッチ」とか。
そして 最後にひときわ声を張り上げて、「ケ セラ セラァ〜♪ なるように なるぅ〜♪ 先のことなどぉ〜♪ わからなぁい〜♪」。
ある日 父があたしに この歌詞を説明してくれました。
こんな 内容でした。
昔 私が若い娘だった頃お母さんに ききました。
『美しくなれるでしょうか?お金持ちになれるでしょうか?』 お母さんは 答えました。

『ケ セラ セラ なるようになる。先のことなど わからない』」
父は 一日の仕事の疲れと心に溜まったストレスをお風呂で癒しながら何を想ってこの歌を歌っていたのか。
父に 尋ねてみたいけど父が亡くなってもう12年になります。
多分 父のことだからこの歌で自分の力ではどうしようもない何かを振り捨て次への活力にするために歌っていたと思うんだけど。
ちなみにあたしは 父の不肖の娘です。     
おしゃべりで 不真面目でだらしなくて底意地悪く 批判的で愚痴も弱音も言いたい放題。
お風呂も カラスの行水だし。 なによりかによりアルコールは奈良漬で酔っ払ったことがあるほどの下戸です。
でも、なによりあたしは「不肖の娘」だなぁと父に申し訳なく思うのは…。
「ケ セラ セラなるようになるさ」という言葉が今のあたしには「がんばってもがんばってもなるようにしかならないんだね」という風にしか思えないことなんだよなぁ。
2005/1/29 「あしあと日記」より