デジタルが時計回りを死語にする(他作)

確かに。今は長針・短針のある時計を持つ者が少なくなった。若い人に『時計回り』と言っても通じないかも知れない。
考えてみると、
『言葉は生活と一体であり、時代が変われば生活も変わり言葉も変わる。当然新しい言葉が生まれ必要なくなった言葉は死んでいく』このように考えると『言葉の一生』なんて自分の意思ではどうすることもできず、『人間の時代の変化』だけに生死を賭けているようであさましさも感じる。
少し本論を外れて、時計回り(右回り)の話を。
?時計の針を右回りにしたのは、「太陽は東から出て昼は真上に夕方西に沈む」ところから来ているという説あり(信憑性は?)。
?回転寿司の右回りは、寿司屋が何度も実験してやっと決めたようです。客からすると右から流れて来る寿司を右手で追い、取り上げるのがごく自然とか?
そうすると「大都会では左利きの人のために左回りの回転寿司があるのだろうか?」というのは私の素朴な疑問。
ついでに反時計回り(左回り)の話を。
?陸上競技場でのトラックでの走る方向は全世界統一で左回り。理由は回るとき、右の利き足で内側に蹴り込む方が走り易いため。
?野球で走塁方向も?と同じ理由。