歎異抄(たんにしょう)読んでホッとする小悪人(他作)

私は歎異抄については全く知らない。勉強の素材としてこの句を取り上げた。
歎異抄』とは、文字通り、「異義なることを歎(なげ)く書物」ということのようである。
「抄」とは、一般的には抜書きし、書き写した書との意味。
この書物の著者は親鸞聖人の門弟である唯円が書いたと推定されている。
では、小悪人はどこを読んでホッとしたのだろうか?
ざっと見ると「十一、罪悪」の部分だろうかと思う。原文でここに示しも何のことか分からないので、説明文を、抜粋しよう。
『罪悪ということを考える場合には、(略)精神的な深さというものが必要である。これが根本の問題である。例えば最近は小学校、中学校の子供達の盗みという問題があります。私のいます福岡の方でもよく新聞に出ていますが、スーパーマーケットのように自由に子供でも入れる買物の場があって、そこには欲しい物が沢山ある。そういう所で盗みをして警察に挙げられた。その時何と言うかというと「ついてなかった」という。ついてなかったというのは、皆もやっているのに自分だけ見つかって運が悪かったという。皆やっているのに自分だけ見つかって損をしたという心を、ついてないという言葉で表わしている。盗みをするという事は、自分の物でない物を持ってくることで、時代が変ろうと場所が変ろうと、そういう事は道理にたごうたことでございます。けれども、「お前は悪いんだ」と言ってみても、「いいや、みんながやっていることと同じ事を私もやっただけで、あの子もやっている、この子もやっている。別に私だけが悪いんじゃない」という。悪い事だと感じとる深さが足りない。したがって、自分が悪かったというには精神的な深さというものが要るわけでございます。それがなければ罪悪ということもありませんし、まして罪悪深重ということは出てこないわけである。』のようなヵ所かと思う。

歎異抄に興味ある方は次のとおり紹介します。
歎異抄購読』
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