目が見えぬようになったら情が見え(他作)

一読すれば『見えぬ』と『見える』の相反する語を17字の中に並べて言葉遊びしている川柳のようだが、内容的にはそういう次元ではない。
この句には目が不自由になった方に限らず中途障害者に共通する思いが込められていると思う。
障害を持って最も『人の情』を感じるのは一人で外出して公共交通機関を利用する時の人々の温かさ。
また、障害を持つと自由に動けなくなることにより、それまでの友人や知人が急に遠ざかっていく寂しさもある。逆に今まで以上に親しく付き合ってくれる友もいて感謝一杯である。いずれも障害になるまでの自分との人間関係に左右されるのは当然だが中途障害者からは、『障害』になった故に人間の『情』というものををはっきり見ることができる。
冒頭の句を『中途障害者』という視点からのみコメントしたが、大病や配偶者の死等色々深い苦労・悲しみを経験すると、いわゆる『他人の痛みを知る』ことができるようになり、そういう意味まで包含しているのかなとも思う。
『痛みを知る』とは医学的には『その痛みを感じている人の脳と同じ部分が活動する』ことを言うらしい。
『人間は人の痛みを知りながら成長する』と言われるが、『他人の痛み』も感じないような人は「脳の活動が止まり」人間としての成長が停止していると言っても過言ではないようだ。