片付けは買わぬ努力と捨てること(他作)

何回読んでもピンとこない句である。どうやら原因は『買わぬ努力』と表現していることにあるようだ。
私ならば、『片付けは買わぬ我慢と捨てること』とする。
こうして初めて、『努力』と『我慢』が同義語になるのだと気が付いた。
時あたかも3月31日、本日付で定年退職を迎えるのは『団塊一年生』の昭和21年4月2日から22年3月31日生まれの人。組織の中で『我慢』を積み重ね、それを『努力』として認められた人も沢山いるに違いない。
変な方向に話は反れたが、冒頭の句のように確かに「買わなければ」「片付ける」対象がないのだからいつまでも、きれいなままだろう。
やはり片付けのポイントは『捨てること』が第一。「まだ使えるから・・いつか役立つから」と保管癖が付くと物はたまるばかり。一年使わなかった物は将来まず使わない。二年使わなかった物は使う可能性は絶対ない。それは備品・消耗品とも同様である。我が家は不要になったまだ使える備品については、市のごみ処分に出すこともできるが、『西広島タイムス』等ローカル紙の「差し上げますコーナー」に情報提供し必要な人に取りに来てもらっている。今まで上げた物は、木製テレビ、自転車、ひな祭りセット、子供用机等で大変喜ばれた。(500円程度の金を出して市のごみ処分に出すより、相手に喜んでもらえるだけこの方が良いと思っている)
机の上の整理整頓はできていても引き出しを開けると乱雑だという例ははよくある。私も例外ではない。時々するのは一旦ゴミ箱に全部捨てて必要なものだけ拾う。こうすると瞬時のうちに片付く。