嬉しさは孫にオセロで負けたとき〈他作)

勝負ごとは「勝って嬉しい」のが当然だが、逆に「負けて嬉しい」と詠んだところにこの句の面白さがある。
どこの祖父母でも同じだが孫が段々成長することは大きな喜びだろう。
小さいうちは知的な成長を喜んでいるが、中学・高校くらいになると体力の成長の喜びへと喜びの性格が変わり、句でも例えば、「嬉しさは孫に敗れた腕相撲」のようになる。
そして、孫が一旦成人すると『極楽だ孫と杯酌み交わし』となる。
確かに孫は家族の鎹、幸せの原点かも知れない。
私も早く次のような句を詠んでみたい。
『幸せは孫と毎日するけんか』
子の結婚の予兆もないのにこんなことを考えるなんて常識はずれかな?、物には順番があるからなあ。