ちょっとそりゃ謝罪じゃなくて朗読だ〈他作)

企業にしても官公庁にしても事故や犯罪等社会的責任を問われる事件を起こしたとき社長室か官房が書いた謝罪文をトップがそのまま読む場合が多い。
この場合トップ自身の手で修正が入ればまだ良いが、部下の書いた文を棒読みでもすると、いかに名文であろうとも、魂の入らぬ仏様のようなもの。
トップの気持ちを何ら汲み取ることができず無味乾燥なものに感じられても不思議はない。やはり人前で話して心を伝えることができるのは、自分の言葉で自分の本音を語ることだ。私は『トップだからこそ自分の口で話してもらいたい』と思う。
その点小泉さんでもあらゆるところでの話す原稿は必要であったのだろうか?と思う。恐らく、何のあいさつにしても『こんなものはじゃまだよ』と言って「ちらっ」と見て返したと思われる。逆に側近としては小泉さんがしゃべり過ぎてはならないので『いさめの原稿』を手渡していたのではないか?
こんな小泉さんも秋風とともに退陣と思えば少し寂しくなる。